【祝卒業】梅崎蓮主将特集
- 誇り
- 3月21日
- 読了時間: 5分

ここ最近多忙であったため久々のブログ更新となってしまいましたが、本日から鉄紺4年生の卒業特集をやりたいと思います。
記念すべき第1弾は、今年度鉄紺の主将や大黒柱としてチームを支えてきた梅崎蓮主将の4年間を振り返っていきます。
4年間の戦績まとめ

同期石田選手よりも将来性抜群
同期には高校時代に5000m高校記録を樹立し、鳴り物入りで入学した石田選手に注目が浴びていたが、高校時代からロードの強さに定評があり、複数の大学に勧誘を受けていた梅崎選手も注目の1人であった。
出雲では先に石田選手がデビューを果たし、5区で区間賞を獲得した。全日本では梅崎選手もデビューを果たし、石田選手が4区で出雲に続いて区間賞を獲得し、梅崎選手も負けじと5区区間4位と素晴らしいデビュー戦を飾った。
この時、個人的には正直区間賞を獲った石田選手よりも梅崎選手の方がいい走りに見えたし、将来が楽しみだと感じたのを覚えている。フォームに躍動感があってロード向きの走りで「将来はマラソンで活躍する逸材やな」と感じた。
その後箱根でも7区でデビューを果たし、区間11位だったが区間6位とは7秒差で、さらには一緒に走っていた法大中園選手を終盤に突き放し、区間順位やタイム以上に素晴らしい走りを見せた。
安心安全の「男梅ザキ」爆誕
2年生になると、全国の大舞台である関東インカレ1部ハーフで2年生ながら2位に入り、ロードの強さにさらに磨きがかかった。またこの時応援していた部員が「男梅ザキ」と書かれたボードを沿道に掲げたことがきっかけで、あの「男梅ザキ」というキャッチフレーズが誕生したのである。
さらにその2ヵ月後に行われた全日本予選10000mでは組3着に入り、ロード力と共に大舞台で外さない安定感を身につけ、まさに安心安全の「男梅ザキ」が誕生したのである。
駅伝シーズンになると、出雲は出走しなかったが、全日本ではエース区間である7区を任され区間7位と安定した走りを見せ、箱根では復路のエース区間である9区を任されシード圏内に押し上げる活躍を見せ、区間4位ながら9区の東洋大記録となる1時間08分36秒もマークした。
箱根2ヵ月後に出場した熊日30キロロードレースでは学生トップとなる4位に入るなどマラソンへの適性を見せつけ、今後のマラソンでの活躍が楽しみなレースとなった。
箱根2区で66分台をマーク
3年生ではレースにも数多く出場し、チームの主力として活躍を見せた。昨年に引き続き関東インカレ1部ハーフで3位に入り、2年連続で表彰台に上りつめた。その後、3000mや5000mで自己ベストを更新し、スピードも磨いてきた。
駅伝シーズンでは、この年三大駅伝フル出場を果たした。出雲6区ではまずまずの走りを見せるも、全日本ではシード圏外で流れが悪く、前も後ろも見えない単独走という苦しい展開だったこともあり、本来の力を発揮できなかった。
箱根に向けて徐々に調子を取り戻し、箱根直前に出場した法大記録会10000mでは28分39秒97の自己ベストをマークし、調子の良さをアピールした。
その勢いのまま箱根ではエース区間の2区を任され、終盤で並走していた国学院大平林選手を突き放す走りを見せ、大学初の2区で66分台という素晴らしいタイムをマークした。(相澤選手は65分台)
箱根後は2月の延岡西日本マラソンで念願のマラソンデビューを果たし、中盤以降早稲田大伊福選手に離されてしまうもののそこから単独2位で抜け出し、初マラソンながら2時間10分台をマークした。またラスト2.195kmは出場選手で最も速いタイムをマークし、今後のマラソン活躍が楽しみな結果となった。
思うようにいかなかった最終学年
最終学年となった4年生では主将を任されるも、フォームを崩してしまった影響で本来の走りができない苦しい1年となった。それでも前半シーズンでは、関東インカレ1部ハーフで2位に入り、3年連続で表彰台へ上りつめたり、全日本予選10000mでは28分台をマークするなどまずまずの活躍を見せた。
8月には2度目のマラソンとなった北海道マラソンに出場するも、苦手な暑さに苦しみ2時間32分台と本来の走りができなかった。
駅伝シーズンではマラソンの疲労などもあって出雲は回避するも、全日本では3区に出走し本調子ではなかったものの区間7位にまとめた。
その後も中々調子が上がらず、昨年と同様箱根直前に法大記録会10000mに出場するも昨年より1分ほどタイムが悪い29分47秒台と箱根に向けて不安を残すレースとなった。
その箱根では12月29日の区間エントリーでは昨年に引き続き2区に登録されていたが、その後急ピッチで仕上げた影響もあって、大会直前にまさかの突発的なアキレス腱の痛みを発症して出場を回避することになった。
主将としてエースとして最終学年何が何でも出場したいところだったと思うが、「棄権は絶対に避けなければならない」と監督に自ら欠場を伝えたのは英断であり、今後の競技人生でそのことが必ず報われる場面が出てくると思う。
今回は梅崎蓮主将の4年間を振り返ってみましたが、やはりロードの強さと安定感は折り紙付きで惚れ惚れしますし、マラソンの適性は十分あると感じます。
最終学年は思うようにいきませんでしたが、卒業後は大塚製薬にて競技を続けるので、先輩のようにマラソンで活躍できる選手になれるよう頑張ってほしいと思います
頑張れ!男梅ザキ!!
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