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【祝卒業】小林亮太副将特集

  • 執筆者の写真: 誇り
    誇り
  • 3月30日
  • 読了時間: 5分
小林亮太
小林亮太副将

鉄紺4年生の卒業特集第3弾は、この世代で最も成長を遂げた小林亮太副将の4年間を振り返っていきます。



4年間の戦績まとめ
小林亮太副将戦績
小林亮太副将の4年間
自己ベスト更新連発

入学時は同期の石田選手や梅崎選手に比べれば、それほど目立った選手ではなかった。

それでも入学後からは力がある同期に揉まれながらも徐々に力をつけ、5000m・10000m・ハーフマラソンすべてにおいて自己ベストを更新し、タイムを伸ばしてきた。


大学駅伝では全日本こそエントリーには入ったものの、一度も出走はなかった。しかし、このまま順調に力を伸ばしていければ上級生になったときにチームの主力になれる、そう思わせるような選手であった。



初の箱根で大役を果たす

2年目の前半は関東インカレなどのメンバーにも選ばれず目立った成績は残せなかった。

だが夏合宿で力をつけ、秋口の早大記録会5000mでは自身初となる13分台をマークし、さらに力を伸ばしてきた。

だが、駅伝シーズンでは全日本こそメンバー入りしたものの、出雲全日本ともに出走はなかった。その後世田谷ハーフで64分台の自己ベストをマークすることができ、初の箱根メンバー入りを果たした。


箱根の区間エントリーでは3区に登録されたが、戦略的に考えて誰もが当日変更するだろうと思っていた。だが、当日になっても3区にそのまま登録され、2区で同期石田選手が苦戦して19位まで落ちてしまって流れがとても悪く、ある程度苦戦を覚悟していた。

だが、その期待を覆すかのような快走を見せ、区間9位ながらも大学3区歴代3位タイの好タイムで16位まで順位を押し上げて反撃のムードを作ったのであった。

ファンとしても正直諦めかけていたところであったが、この快走で「諦めちゃダメだ」と思わせてくたし、気持ちも立て直すことができて本当にありがたかった。



箱根を機にチームの主力に急成長

3年生になると、箱根の快走を機に自信をつけ、チームの主力へと急成長を遂げた。

春先の日体大10000mで29分1桁の自己ベストをマークし、関東インカレでは3年目にして初のメンバー入りを果たした。10000mで自身初の28分台をマークして8位入賞を果たした。

さらに7月の学連記録会10000mで当時チームトップタイムとなる28分36秒マークし、この年10000mの自己ベストを3度も塗り替えチームの主力へと急成長を遂げた。


駅伝シーズンでは出雲、全日本ともに初の出走を果たしたものの、本来の走りをすることができず苦戦した。

だが、小江戸ハーフで63分台の自己ベストをマークし、箱根に向けて調子を上げてきた。

箱根では2年連続で3区を任され、区間6位で3区の大学記録となる1時間02分03秒をマークしてさらに順位とタイムを伸ばし、この1年間の急成長ぶりを最後この舞台でしっかりと見せつけることができた。

前回も悪い流れを断ち切って連続シード獲得に貢献し、今回もチームの総合4位に大きく貢献したといっても過言ではないくらい、チームを助ける走りをしてくれるのが本当にありがたいなと思う。


箱根後は奥武蔵駅伝で4区区間賞を獲得したり、丸亀ハーフで自身初の62分台をマークしてその実力を証明した。



天国と試練の最終学年

最終学年となった4年生では、4月の私学七大学3000mで1着でゴールし8分00秒の好タイムをマークし

て更なる強さを見せつけた。

5月の関東インカレでは前年に引き続き2年連続で10000mに出場した。

離れても粘りの走りを見せて7位と2年連続で入賞を果たし、チーム2番目のタイムとなる28分12秒77の自己ベストをマークしてこの1年の成長を見せつけた。


その後6月の全日本予選10000mでは4組に出場し、一時先頭集団に追いつく粘りの走りを見せ、28分台でゴールした。

その後7月に27分台を目指してホクレン10000mに出場したが、暑さの影響で後半タイムが伸びず28分30秒台と最低限まとめる走りとなった。


ここまで好調だっただけに駅伝シーズンでの活躍を期待したが、夏合宿で膝を痛めてしまい、思うように練習が積めず苦しんだ。

その影響で出雲は回避し、全日本には何とか間に合わせて1区に出走したが、本来の走りではなかったものの8位と先頭が見える位置で最低限仕事を果たした。


その後も膝の状態が思わしくなく、箱根も間に合うかどうか微妙な感じであったが、何とか間に合わせることができた。

本来は3年連続で3区に出走する予定だったが、梅崎主将がアクシデントで出走できなくなった影響で、今回は1区で出走することになった。

だが膝にテーピングしていて明らかに少し無理を押して出場しているのがテレビの画面越しから伝わり、正直とても不安というか心配な気持ちになった。

だがそんな心配を覆すかのように第2集団を積極的に引っ張って自らペースメイクしており、そんな姿に心を打たれた。

ラストはやや離されてしまったものの、第2集団先頭と秒差の11位と2区の選手が走りやすい位置で襷をつなぎ、状態が悪い中で十分仕事を果たした。

今回も小林選手の力走がなかったらシード権がとれていなかったと思うので、「本当にありがとう」と感謝の気持ちでいっぱいだ。



今回は小林亮太副将の4年間を振り返ってみましたが、入学時には同期と比べると決して力があったわけではなかったですが、4年間でしっかりと努力を積み重ね、今でこそチームに欠かせない主力に成長しました。

特に箱根での活躍には見ていて本当に頼もしかったですし、「ありがとう」と感謝の気持ちでいっぱいです。

卒業後はトヨタ自動車にて競技を続けるので、もっともっと成長して日本を代表する選手になれるように頑張ってほしいと思います!

頑張れ!小林亮太!!




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